◆シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
「おやすみ。」も、
「おはよう。」も、
「ありがとう。」も、
あなたといっぱい、往復したけれど、
「さよなら。」だけは、今はまだ、言いたくないの。
だけど、あなたは、
そんな私の胸をそっと押して、
未来へと還してくれるんだね。
そんな大人な笑顔をみて、
わたしも、時を止めるのをやめた。
未来に進んでいこうときめた。
◆2020年。
はてなブログの毎日更新を今年の1月でやめてから、自分の感情が大きく動いたときに書こうと思っていたのですが、今年はコロナウイルス感染拡大という大きな出来事の中で、自分の感情を文字にして表すことがすごく難しくなり、少しも書くことができませんでした。
どこに行くこともなく、家の中で時間を過ごすことが多くて、その中でも私の感情は揺れ動いていたのですが、それはあまりに外に出したくない感情だったというのが本当のところです。そんな中でも、別の媒体で、自分としてなのか、もう一つのアバターとしての自分なのか、非常にあいまいな定義の中で、演じる自分を書くという行動を続けてきました。ちょっとしたショートストーリーの主人公になって、いろんな感情を書き表してみるというようなことです。最初ははずかしくて書きにくかったことも、演じているのだと思うことで、恐ろしく素直に書くこともでき、その中でいろいろ見つめなおすこともできました。そうやって、今は、自分じゃない自分に置き換えて書くことのほうが向いている時期なのかもしれません。
本当は自分の新しい感情をもっとみつけたい。来年は、もう少し行動的になれるといいなと思います。
今年一年、長かった。こんな一年もあるのだと思った。普通が普通じゃない毎日は、やっぱりしんどくて。もう少し、楽しいことが楽しくて、うれしいことがうれしい毎日だといいな。
◆まゆゆ引退。
突然飛び込んできたニュースに目を疑いました。
まゆゆが芸能界引退。AKB卒業後も、女優としてドラマにでていたこともあり、かわいい姿を拝見することもあったので、びっくりでした。
体調がすぐれなかったとのこと、心配ですが、いまはゆっくり休んでほしいと思っています。大好きな演劇をゆっくりみて、また笑顔になってほしい。
ゆきりんとまた一緒に歌ったり、踊ったり、お話したりすることを望んでいましたが、もう、そんな姿をテレビでお見掛けする可能性はなくなってしまいました。
正直、淋しい。
わたしの中でのまゆゆきりんは、いまでも燦然とアイドルの頂点にいるので、塗り替えられることもないのですが、もっとみていたかったなぁ。って素直に思いました。
わちゃわちゃしてるのも、親子のように見つめ合ってるのも、大好きでした。
まゆゆの完璧アイドルが、ゆきりんと一緒にいるときはちょっとだけ崩れるのも好きでした。
シンクロときめきは、もう完全に素敵アイドルソングとして好きだし、もっとまゆゆきりんでも歌ってほしかったなぁ。
今は、ゆっくりまゆゆの毎日が戻ることを願っています。いつかどこかで、AKB同窓会とかすることがあれば、是非、また、その素敵な笑顔見せてくださいね。
◆自粛。
新型コロナウィルスの感染拡大で、日本全体が活動を自粛している毎日です。
わたしもなんだかおでかけを自粛してしまったり、家で過ごす時間が多いかもしれない。普通に食料品の買い物とかいけばいいんだけど、なんとなく。他県に買い物のためにおでかけすることは、今はやめたほうがいいのだろうと思っていて、それも行動の制限になってしまっている。
人の交流って思っていた以上にとても広かったんだなと思う今日。
◆ゼロスタート。
エミリアのことがなんとなくかわいいなと思って見始めたので、レムのフェーズになってから、もう苦しくて苦しくて。あんなにふがいなく、自己中心的な主人公なのに、それを英雄だとか甘やかしているレムちゃんがあんまり好きになれなかった。あとはセーブポイントまで戻って、なんどもやり直すというその仕組みもあんまりわかってなくて、最初は???になっていた部分もあります。主人公以外の脇キャラが個性的なので、その人たちがたくさんでてきてからはみるのがそんなにつらくなくなったかな。はやく続きがみられるといいな。次はなにをみようか。
◆好奇心。
毎日を楽しくするのは好奇心だと思っている。なにかに興味をもって、どういうことなんだろう?どんなものなんだろう?どんなふうに思っているんだろう?ってたくさん興味がわかない限りは、どんどんいろんなことがつまらなくなっていくに違いない。
いろんなことに興味をもって、いろんなことをやってみるのがいい。失敗してもいいし、勘違いしてもいいし、あれれ?ってなってもいい。ただ、こわいからやめるとか、ホントは興味あったけど、いいだせなかったからやめるっていうのは違うと思う。
他人にどう思われるかを考えるのは大切だけど、ありもしない空想をして怖くなるのは違う。結局、どう思われているかなんて、伝えられなければわからないわけで、それを想像し始めたらなんにもできなくなってしまうんじゃないだろうか。あまりに察しを重んじすぎて、がんじがらめになっているのをみるともったいないなとも思えるし、そんなふうに狭い度量の人ばかりでもないだろう。おおらかにかまえてもいいんじゃないか。