ENDLICHERI☆ENDLICHERI追加公演。

 再び、エンドリタンク。手前の広場の雑草が前回よりも伸びていたりして、そんなところに追加公演を感じてしまった。物販や手前のホールも以前のときより随分落ち着いていたし、みんな手慣れたご様子。今回も座席は中間地点だったのですが、それでもよく見えて楽しみました。
 オープニングから剛さんの愛のささやきが始まり、公演中、ずっと随所で愛を囁かれます。英語で流れてくる声。字幕は会場の至る所に文字として映し出されます。会場総立ち、手拍子でどんどん雰囲気を盛り上げていきます。映像も前とは変わったような? あんなに龍がいっぱいでてくるようなものではなかったと思うので、たぶん変わった? 会場を見つめておられる龍のオブジェは前からあったかな…うろ覚えだ。またもや、前回と同じく『Blue Berry』で会場のみなさんがすっと手を上に差し出されたのに仰天。慌てて腕を伸ばしてみる。今回はできるだけ振りやりますよ。体力持つ限りやっちゃいますよ。両手伸ばし拍手とか低体力人生を目指している私にしては久々にがんばりました。でも、あまりに長かったために挫折した振りもあります。『Six Pack』はやっぱり盛り上がります。振りを踊っていてもとても楽しかった。イントロが流れるだけで、トーンが2段くらい高くなる感じ。
 曲目は新しい曲が数曲増えただけで同じ曲が多かったのですが、印象はがらっと違っていました。実際アレンジが変わっているものが多くて、ベツモノの曲になっていました。『御伽噺』はテンポもリズムの取り方も変わっていて斬新にイメージチェンジされてました。サビのリズムが面白い。どの曲も相当いじられていました。『雄』もまた違ったアレンジになっていました。ライブはやっぱり音が生きているのが楽しい。毎日毎日、同じ音じゃないんだって、すごく明確にわかるもの。そしてアレンジ一つ、歌い方ひとつ、変えるだけでこんなにもこの曲は見え方や捉え方が変わっていくんだなぁって感じられるのがまた楽しい。ライブで一番私が楽しみにしているのは、実はアレンジだったりするのです。アレンジが変わっていればいるほどにどきどきする。完成系として販売された音をライブではどういうふうに聞かせてくれるのか、見せてくれるのか、それが一番感じやすいことだからなのかもしれませんが、たった一度しかない時間だということを、否応なしに突きつけられている気がしてどきどきするのです。今回もラスト。ケリーのアカペラ部分のある曲があり、それが心に一番残りました。なんてすごい声なんだろう。そして、その声に秘められている想いはどんなものなのだろう。伸びやかに空間に広がっていく声という振動に心が揺さぶられました。一度途切れた音。そしてその先を私もいろいろ想像する。だけど、その思い描いていた音よりも何倍も優しくて、何倍も響きのある音が実際には耳に届いてきました。それが、ケリーのものすごいところだと感じてしまった。
 ラスト前に音楽について語ってくれたケリー。それは会話というよりこれからへの案内文のように聞こえました。音楽という表現の中で何を見いだしていくのか、伝えていくのか、それを明確にわかっているというのはすごい事です。ぶれない軸がある。それが今というときだから、素直に受け取ることができる。辛いこともあり、それを乗り越えて、こうやってステージに立っているケリーの言葉だからぶれない。『愛』という言葉はすごく重い。私はその言葉を敢えて使わないようにしていほどに、重いものだと思っています。だけど、ケリーにとっては『愛』はきちんと語れる言葉になっている。それほどの気持ちを彼が抱えていて、知っていて、伝えられるということが羨ましく思います。
 今回のライブはライティングも素敵でした。基本として全体的に青系のライトが多かったかな。あとピンスポが集まっているときの光の筋がとても綺麗でした。会場のてっぺんに付けられているミラーボールも相当大きなもので、きらきらとした光の粒を会場全体にまき散らしていました。何の曲だったかは忘れてしまったのですが、ステージの下から上に向けてのライトだけがついているときがあって、ギターを弾くケリーが浮かび上がって見えたのには、ぞくぞくしました。ラップダンスのときもそんな雰囲気だったかな。
 会場の音がすべて途切れた瞬間に会場の外を走る車の音が聞こえた。それがこの会場ならではの音なんだと思いました。それは雑音ではなくて、今、生きている音なんだということを知らしめる音だったと思います。そのあとに響いたケリーの声。綺麗な言葉を並べるだけでは、人間の本当、生きるということは描き出せない。そう言っていたケリーの言葉。それと通じる部分を感じたのです。現実なのだと。逃避した空間ではなく、エンドリタンクも生きているのだと感じられました。ここ、横浜に立っている一つの場所。今、生きていて、動いていて、歌っている。生きているということは綺麗なだけではない、醜くて濁った感情も確かにある。だからこそ、生きるという光は輝いて見えるのだろう。こんど聞かせてくれる音を楽しみにしていたい。素直に受け入れられるそんな私でいたい。