ハウルの動く城。

ハウルの動く城 [DVD]

ハウルの動く城 [DVD]

 
 「ハウルの動く城」を見に行ってきました。公開2週目なのでわりと混雑もおさまっているかと思ったのですが、すごい人気でしたー。家族連れの方がいっぱいで上映前も、上映中も、上映後もいろいろバタバタしていました。物語に入りこんでいるときは、他の人の些細なことが気になって、現実に引き戻されたりするのが映画館の難しいところ。お客さんが全員、おんなじ映画にのめりこんでいるときは、またみんなで一緒に盛りあがって見れるのですが、そうじゃないときは自分だけの世界を守ろうと必死になってしまいます。今回はストーリーを追うことだけにすべての気がとられてしまったので、次回はもっと人気(ひとけ)のないときに純粋に楽しんでみたいです。というわけで、感想は下に続きます(かなーり長いです。)
 とにかく、ハウル、かっこいい!! ハウルのかっこよさだけで何時間も見れてしまう!! 乙女の夢です。木村拓哉さんの声がほんとはまっていて、ハウルのいいとこも悪いとこも全部、ひっくるめて、木村さんの声がハウルの声だと思ってしまいました。ハウルのかっこいいところを挙げるときりがないくらいでした。最初の登場シーンからして、心をかっさらっていかれちゃいましたね。あんなかっこよくて衝撃的な出逢いをしたら、ときめかないはずがないってくらいかっこよかったです。金髪で赤と銀のジャケット。派手好きで自信満々なハウル。かと思うと、髪の色を染めるのに失敗して、子供みたいにかんしゃくを起こすハウル。おんなじ男の人なの?って疑いたくもなるのですが、乙女心にはそんなギャップがたまらない。すっごくかっこよくて、自分の仕事に自信満々。でも、家に帰るとだらしなくて、子供みたいに甘えてくる。そんなハウルはまさに乙女の心をかっさらっていってくれます。模様替えをしたときの、ソフィーを呼ぶ声があまりにうれしそうで、そんなふうにはしゃぐハウルにならついていってしまいそうになります。
 原作を知っていてみるのと、そうじゃないのってかなり違いがありますよね。私は私なりのソフィーもハウルも動く城も心の中で一旦、作り上げていました。だから、最初はちょっと違和感があったのです。私がみたことあるような世界だけど、全然違う。でも、いつのまにかジブリの作った世界に引き込まれていました。色鮮やかな街並み。イカツクて、デロデロしているお城。特にソフィーの住む街はすごく綺麗。それにお花畑や湖のシーンは心洗われるようでした。一面の花畑、落ちてくる星。その水面にうつる影まで澄みきっていて、これがハウルの心の中なのだと思えるくらいでした。カルシファーはあんまりにもかわいくて、こんな悪魔だったら一緒に住んでみたい(でも、心臓はとられたくない)と思えちゃうくらいかわいい。
 私がハウルを見て感じたのは「自由」という束縛についてです。ハウルは確かに自由に生きているように見える。ふらりと出ていって、思ったように思ったことをして、またふらりと帰ってくる。何も彼を縛ることはできなくて、彼は自分のしたいようにその大きな魔法のチカラを使っているように見えた。でも、それは違っていた。ハウルが自由に生きるために、いくつも名前を持っていたのは、彼が自由ではないという証なのです。魔法使いになるための大学で書かされた誓約。恩師の頼み。いろんなものが彼を縛っています。なんでも自由にできると思われている魔法使いでさえも、自分の思い通りに生きることはできない。そして、他の人からは自由に見えていたハウルにも大切なものができました。それは、ソフィーという少女。守るものを持つということは弱さなのでしょうか。いままではしがらみから逃げることを「自由」と呼んでいたような気がします。でも、ハウルはソフィーという守るものを見付けたことで、本当の意味での「自由」を手にした気がするのです。誰にもみせたことのなかった、花畑の水車小屋。彼の心の中の1番、大切な部分にソフィーを招いた。「綺麗じゃないと意味がない」と落ちこんでいた彼。だけど、どんな醜い姿でもどんな狂暴な彼でも、それでもソフィーは手を差し伸べてくれていた。誰からも何からも逃げなくていい、それ以上の自由なんてありません。ありのままの彼をありのままの姿で包んでくれる、たった1人の愛しい人を見付けた。そんな、大きな自由。それを束縛と呼ぶのなら、それでもいい。でも、ハウルは確かに強さも自由も見つけていました。あんなに穏やかな彼はこれまでみたことがないくらいに。
 そして、ソフィーも「自分の願い」を手にして、「自由」を見つけたのだと思います。帽子屋で働いていた彼女は、長女だからという理由でその仕事を続けていましたし、華やかで人に好かれる妹と比べると地味で目立ちはしませんでした。その中でもささやかな幸せを楽しんでいたのに、気まぐれに現れた魔法使いのせいで「おばあさん」にされてしまうのです。そんな不幸ってありません。でも、ソフィーは落ちこみもせず、城に乗り込んでいきます。そして、ソフィーも変わっていきました。たしかにそれまでは、荒地の魔女の気まぐれやハウルの思い付きに降り回されてばかり…、でも、彼女は自分の中にたしかな願いがあるのに気がつきました。それは、ハウルへの気持ち。そんなハウルが1番嫌っている戦争で身をボロボロにして闘っている。ソフィーを守るために。そんなふうに、悲壮感漂うハウルを見てはいられなかった。やっとみんなで暮らしていけると、引越した穏やかな住い。それを全部、取り壊してでも、それでもなんとか、ハウルを助けたかった。ソフィーは誰のためでもなく、自分とハウルのためにがんばっていた。「誰かのため」とかましてや「みんなのため」とかそんな曖昧な気持ちではできないことがたくさんあります。ソフィーが決めたのは「誰のため」でもない「自分の願い」のためでした。自分が何がしたいか…、流されていく時代の中では見失ってしまうときもあります。かわいくもなくて、とりえもなくて、いろんな人と比べて落ちこむことだってある。なにかを誰かのために我慢するのじゃなくて、「自分のため」にできること。それがソフィーの決断でした。だから、いままでできないと思われていたことも「私がする。」と言い切れたのでしょう。
 ハウルにしてもソフィーにしても、いっぱいいっぱい、いいところあって、いっぱいいっぱい、もっとできることがあった。それに気が付けなかったり、臆病だったり、なにか、自分で自分を縛り付けていたものがあったように思います。そして、「自由」を求めていた。本当に大切なものを見付けたときに、自分で自分の縛りを解いたから、本当に「自由」になれたのだと思う。恋はそんなところも、万能な魔法だなと思えてしまう。「自分の願い」こそが本当のハッピーエンドへの扉なんですよ。誰のためでもなくて、自分のために、平和を願いたいと思います。
 この先は原作バレもあるので、ますます要注意。今回の映画でちょっとだけ残念なのは、恋のどきどきのクライマックスがラストにこなかったことです…。原作ではハウルが他の女にうつつを抜かしていると勘違いしたり、ソフィーの心もハウルの心も最後までわからなくてそこがどきどきのポイントでした。そして、ラストでぱぁーっと一気に大団円になって、そこがよかったのですが、映画版はわりと中盤で恋が明らかにされていて、恋のじれったさとか切なさとかそいうのが感じられなかったかなと思います。あとはソフィーの家族があんまり出てこなかったのと、いきなり最後に隣国の王子が出てきて、この脈絡がわかったのかなと不安になりました。わたしはカカシの正体が、原作の最後のどんでん返しの中では1番びっくりしたのですが、その驚きがあまりあの映画の中ではわかりにくかった気がします…。まぁ、正体も違うのだけど…。はやくも感想を書いて思い出しているだけでも、またかっこいいハウルに逢いたくなってきました(笑)