ゲド戦記。 

 ジブリ作品として映画化が決まっているゲド戦記。公開されたら児童書の人気も高まりそう。映画のお話は「さいはての島へ」あたりのストーリーだと思うのですが、テハヌーが出てくるらしいので、ストーリーは再構築されるのかも? この作品は間が空いて出版されたのですが、それがよくわかるのが翻訳者のお言葉。深みのあるあとがきを読むとこのシリーズの歴史を感じます。


影との戦い―ゲド戦記 1

影との戦い―ゲド戦記 1

 10年くらい前に2度読んだシリーズで私も深く感銘を受けたゲド戦記シリーズを読み直してみることにしました。新刊が出ていたのですが、前作を読み直してから読んだ方が面白いだろうと思ったためです。こうやってかなりの児童書を読んできてから読み返すと、最初に受けた心からの震えというものが観じられなかったのが残念。初見時には斬新だと思えたラストの描写も、その後にかなり使われた手法となってしまったので、いまとなっては正攻法とも言える戦い方だった気がします。
 他の魔法使い作品との違いは明らかで、自分との戦いとも言えるものがメインとなっています。影に追われていたゲドが、向き直って影を追う立場となり、その影がなんなのかを知った上で、それを取り込んだところがすごい。これって成長の過程でもあると思うんですよね。魔法の華やかさは微塵もなくて、ただ自分の中で渦巻く欲望や苦しみや汚いものが、いつでも付きまとっているということを感じさせます。そして、それこそが自分の一部なんだと知った上で、それでも向き合えることこそ本当の力なのではないでしょうか。


こわれた腕環―ゲド戦記 2

こわれた腕環―ゲド戦記 2

 テナーに翻弄されっぱなしなゲド。前半はテナーの日々の暮らしやアチュアンでの生活が主に語られていくので、ゲドはいったいいつ出てくるんだろうと思ってしまいました。結局、登場しても今回の主人公テナーの強さの前では、あまり目立つこともなかったような(笑) 閉じこめられた空間の中で何不自由なく暮らしているようで、ほんとうは囚われの身の上だったテナー。自分ではない何かとして操られ、残酷なことをしていると知っていてもそれが真実だと思っていた。封鎖的な環境というのは、どんなに歪んだ状況だとしても真実としか映らないんだなと思えます。信じる心に訴えるとなるとなおさら見えなくなるものもあるのかもしれません。闇のものたちを恐れながらも、その閉鎖的な空間の中での安定が、彼女を支配していたのだと思います。変わっていくことは怖いことだから。墓所の地下迷宮に眠っていた腕環は陽の当たるところに出てこそ、本当の平和をもたらしてくれるように思います。


さいはての島へ―ゲド戦記 3

さいはての島へ―ゲド戦記 3

 ゲドとアレン王子が黄泉の国に行き、そこに開いてしまった穴を封じ込めるお話。このお話ではゲドとアレンの旅の途中での心の交流がメインになっています。とうとう大賢人となってしまったゲドですが、魔法のすごさを教えるのではなく、アレンに人としての生き方を諭していたように思います。結局、最後の最後ではアレンに背負われて脱出するくらいでしたから、主人公は主人公といってもそんなに華々しい活躍ではありません。でも、ゲドの言う言葉のひとつひとつに重みがあり、温かみがあり、人間としての優しさを感じました。そういうところが、若かりし日のゲドにはなかった部分なのだと思います。この本の中にとても印象的な一節があるのですが、「ろうそくの光が見たかったら闇の中に置け」。これが生きるということの確かさなのかなと思っています。裏も表もなく、ただほんとうに同じところにある。生きることと死ぬことは結局は同じなのかもしれません。   


帰還―ゲド戦記最後の書 (ゲド戦記 (最後の書))

帰還―ゲド戦記最後の書 (ゲド戦記 (最後の書))

 ゲドは魔法の力を失ってしまう。彼にとってそれはとても大きなことであり、その現実を受け止めるまでに相当の時間を要した。ゲドという大賢人を失ったため、新しい大賢人の選出が行われるがそれも上手くはいなかい。世界は大きく変わり始めてしまったのだ。文中に「女性はなぜ魔法使いになれないのか」という記述が出てくる。女性というのは自分でもわからないくらい強かったり、弱かったりする。たぶん、自分の力が計れないのだと思う。だから、魔法使いには向かないのかもしれない。この本ではテナーの女性としての強さ、そしてしたたかさが感じられる。そのテナーの強さによってゲドも立ち直れたように思う。テナーは一人の女性としての道を選んだ。妻となり子を育てた。テナーの言葉にはとても胸に刺さるものも多いが、確かさも感じる。時代は変わっていくのだ。それは人間の根本にある確かな流れから。そして命をはぐぐむことのできる女性がそれに近い存在なのだろう。


アースシーの風 ― ゲド戦記V

アースシーの風 ― ゲド戦記V

 これで最後だと思える結末。前書「帰還」から11年。すごく気になっていたテハヌーにまた逢えることがうれしかった。ゲドは年老い、魔法を使うこともできない。この本の主人公はレバンネンであり、テハヌーだった。テナーはそんなふたりの頼れる母としてそこにいて、ゲドは遠くにいる存在だった。それでもゲドがそこにいるというその事実が、なにか確かな光となっていたように思う。人間が人間として欲望を追求するあまり、生と死の間には流れがなくなってしまった。築かれた石垣はそれを隔てた。なにかをねじまげてなにかを得ようとするとかならず代償が伴う。たぶん、この世界の魔法にしてもそうなのだろう。大きな力と引き替えに何かを失っていた。それに今気づいただけなのだ。この世界は変わった。そして、それが本当に感じられるようになるまでには時間を要するだろう。ゲドは今もあの家でヤギを飼っているのだろうか。温かさが感じられる我が家でテナーと時間を過ごしているのだろうか。


ゲド戦記外伝

ゲド戦記外伝

 5つの異なるお話が収録されています。「カワウソ」はロークの魔法学校が出来るまでのお話。魔術というものが人々に恐れとして感じられていた時代には、誤解も生じ魔術師たちが生きるのは難しいことでした。それがいまのように体系だっていく姿となるまでの初期のお話。そしてラストの「トンボ」は今のロークを見せてくれています。石垣で囲って閉じこもることが最初は必要だったのですが、今となってはその壁が必要ではなくなくなってしまいました。壁の中だからこそダメになってしまった部分もあるのでしょう。その中に大きな流れをみることができました。時代とともにいろんなものが変わっていく。それは魔法だって例外ではないのです。大きな変革を遂げる世界にあって、変わらないものというのは人と人との繋がりなのかなぁと思います。ゲドはちらっとしか出てこなかったので、ちょっと残念でしたが、アースシーの世界が味わえる一冊です。