◆美しく、儚げな、蝶々さん。

世界選手権 女子フリー

 浅田真央さんを信じてなかった自分を恥じた。真央さんは真央さんだった。他の誰でもなく、飽くなき挑戦を続けていくアスリートだった。
 真央さんが競技のリンクに帰ってきたという覚悟のほどを私はあまり理解してなかったのかもしれない。ショートプログラムが終わって、3Aの転倒(両手をつくと転倒になる)はあったものの美しくまとめられたプログラムに、順位以上のものを感じていたので、真央さんは世界選手権のために相当がんばっておられたんだなと思った。フリーの演技を心待ちにした。
そんなときに、真央さんの左膝の故障のニュースが入り、私の中に真央さんはもう滑れないのかもしれないという不安が生まれた。ここで故障ということになれば、次のシーズンもなくなるだろうし、年齢的なことも加味すれば、引退ということもある。今回の世界選手権、もう点数も順位もいいから、とにかくケガしないで終わってほしいと思ってしまっていた。
 ……真央さんの演技をみて、そう思ってしまった自分を恥じた。
 真央さんがそんな気持ちでリンクに立つわけがなかった。自分の演技が見せられない状態で、あの場にいるわけがなかったのだ。
 心臓の音が自分に聞こえてくるくらいにどきどきした。3A、3F-3Lo、次のLzが2回転になった。でも、そのあとも2A-3Tも3F-2Lo-2Loも美しかった。久しぶりにみるタノジャンプ。袖口の生地がひらひらと揺れて、美しさが増した。すべてのジャンプが終わった瞬間に、私は真央さんをようやくしっかりとみることができたように思う。真央さんの表現したかった世界をみることができた。最後のステップの美しさと儚さ。真央さんの細い身体がスケートリンクの上に描いていく、美しい軌跡。ひらひらと舞っているようだった。こんなにも儚げで美しいものがあるのだと、そう気が付いたら、涙が出ていた。最後の表情。もう、どう言い表せばいいのかわからない。生きていることのすばらしさとこうして真央さんが戦っている姿と、そしてそれを私が受け取れるという今を思ったら、そんな素晴らしい偶然はもうこの先あるのか、今には終わりがあるのだと、それを感じてしまって、ますます泣いた。
 そして、演技が終わって、真央さんがほっとした笑顔になったときに、また泣いた。やっぱり、わたしはいつでも真央さんの笑顔がみたい。点数はあんまり気にしてない。真央さんがやりきってくださればそれでよかった。私の中では150点超えの感動だった。ソチオリンピックのときと同じくらいの気持ちだった。真央さんが競技のリンクに戻ってきてくれて、こうして自分の限界にチャレンジしている姿をみせてくれている。その覚悟を私はこれからも信じていきたい。
 ひさしぶりに演技を見て泣いてしまった。現実はフィクションより、大きな落胆も生むけれど、大きな感動も生む。この現実ほど私を突き動かすものはない。今という時間のきらめきを精一杯の心で受け取るしかできないけれど、私はそれをこうして書き綴っていきたい。私の心を動かす、浅田真央さんという存在を刻み付けていきたい。
 真央さん、本当にありがとう。