◆パープルアクアリウム。

エンドリ駅。

 ENDLICHERI☆ENDLICHERIのライブに行ってきました。来週が最終週だったのですが、私が参加するのは初めて。ちなみにみなとみらいに行くのも2度目。いろんなことが新しく感じられてどきどきでした。そういえば、剛さんのソロライブに参加するのもこれが初めて。
 まずは新高島駅に到着。駅がエンドリケリーな色に染まっていて驚く(笑) お写真は帰りに撮ったものなのですが、ホームに降りたときからエンドリケリーマジックが始まっているようで素敵でした。駅からの道順はチケットに入っていたご案内でしかわからなかったのですが、他にもライブ会場に向かうお嬢さま方がたくさんおられたので、着いていっちゃいました。いつもライブ会場まではそういうふうに辿り着いてます。この日は朝からずっと雨だったので、会場に向かう人の列も傘で埋め尽くされてました。
 さて、会場入り。グッズを観にいこうとすると、そこにエンドリケリーなビーゴ発見。聞いてはいましたが、ほんとにエンドリケリーがペイントされていてかなり大胆なお車になっています。その車の上に剛さん(らしき?)人形がギターを持って座っているのですが、サングラスをかけている。どんな顔なんだろうと疑問に思ってました。ライブのトークの中でこの人形についての話題が出て、どうも顔がかなり似ていなかったために、サングラスをかけているのだとか。ギターのコードもジミヘンやっているらしかったのですが、そこまでは確認してきませんでした。この人形を作るために剛さんはものすごく苦労されたということでしたが、私の周りにいた方も人形よりは直筆メッセージに視線が集まっていたような気がします。ぶっちゃけ、眼中になかったというか…。
 会場をぐるっと見て回ったので、そのまま会場入り。思っていたよりもよく見えそうな会場です。私は会場内では階段状になった部分の左側のお席でした。身長があんまり高くないので段差があるところでよかった。ライブ前の会場はミラーボールがぐるぐる周り、いろんな色のライトに照らされて、ダンスホールのようでした。サンカクのカタチのライトが複数あるのですが、そのライトが客席をすべっていく様子が面白い。私の上まで来たら掴まえてみようと思ってましたが、どうもそのライトのカバー範囲内ではなかったらしく、サンカクを掴まえることはできませんでした。
 さて、ライトが落ちてイントロが始まるとすでに会場は総立ち。何度も来ておられるお客様が多いらしくて、手拍子もばっちり揃ってます。このライブではコーラスの方がいろんな振り付けをしているのですが、その手の動きを会場のみなさんも一緒にやるというスタイルのようでした。私はさすがに全部をやってみることはできなかったのですが、要所要所は締めたつもりです。『Blue Berry』からその振り付けがあって、会場のみなさんがすっと手を上げられたのには私はびっくりしました。でも、一緒にやり始めると楽しいです。そういう一体感はライブの中ずっと感じられました。
 ENDLICHERI☆ENDLICHERIの音作りがとても遊び心に満ちていて、リズムも独特のものがあるので、そういうリズムに乗って楽しめればいいなぁと思っていましたが、ライブはさすがにライブ。そのときそのときの音がまたCDとは全然違ったアレンジになっていたりして、ますます音の世界で遊んでいるような気持ちになりました。ホーンにコーラス、パーカッション。いままでに感じたことのなかった音の世界がそこには広がっていました。私の中で一番お気に入りの『雄』のアレンジがかなり大胆に変更されていて、驚きました。この曲のコーラスの方の動きがとってもかわいいのです。ムーミンのニョロニョロみたいな雰囲気。ギターが唸ったり、ベースが飛び跳ねたり、ドラムが激しかったり。そのリズムと音の中に引き込まれていくようです。他にも火花が飛び散るようなパーカッションのパフォーマンスにも驚きました。その中で剛さんの歌声がすごく引き立っている。たくさんの音の中に芯として通っているようなそんな空気。かわいい声だったり、かっこよすぎたり剛さんの歌の世界はいろんな引き出しがあって、それをちょっとづつ覗いているようなそんな感じ。ライブって同じ空気だったり、時間だったり、そういうものを共有できることが一番楽しいことだと思えました。生きてる音を感じられて、一緒に音を楽しんだという気持ちがするライブでした。だから、感想は「楽しかった。」としか書けない。どこがどういうふうにと聞かれても、答えを探すのに苦労するくらい自然に楽しかったと思えるライブだったです。時間が経ってから落ち着いて考えてみると、その楽しい理由はきっと日常ではなかったからなのかなと思えたりします。あのときあの場所でないと出逢えない音に出逢えたから。あのときでないと一緒にいれない会場のみなさんと分かち合えたものがあったから、そういう一度しかない時間という日常ではない空間だったから、楽しかったのだと思う。現実ではないようなそんな時間。そういう場所と音楽をみせてくれました。
 『ソメイヨシノ』の前に剛さんのこの曲へ込めた想いを語ってくれましたが、この曲はとても不思議だと思う。淋しさとか優しさとかいろんな感情が交じり合って、あまりにも綺麗だ。桜に感じるのは一言では言い表せないようなそんな複雑な人間の感情なのかな。綺麗すぎると怖い。無くしてしまいそうで、今だけしか感じられなさそうで、それが怖い。大切だったり、守りたかったり、そういう気持ちが大きすぎると、未来が怖くなる。優しさって本当は一言で語れるほどに簡単なことではないよね。たぶん、いろんな感情の葛藤があってそれが優しさになるのだと思う。優しさと淋しさってほんとはすごく近いんじゃないかな。曲を聴いていたら、涙が出そうだった。それは魂が揺さぶられる感じがしたから。剛さんが語ってくれたこととは全然別のことを、この曲を聴きながら私はずっと思っていた。それはある意味、未来への確信めいたものだった気がする。ただ、そう漠然と未来はそうなんだということを感じただけ。でもそういう気持ちが不意に起こってくるほどに、この曲は大きなものを持っている気がした。宇宙ほどの広がりと過去も未来もない時間の拡がりと。すごく大きいけど、すごく近くて、そして遠くて。人間にはきっとそういう目には見えない何かを感じるチカラがあるのだと思う。だから、涙が出そうだった。この曲が持っている大きさと儚さを感じたから。
 音の中に感じるものは人それぞれだけれど、またこんなふうに音の世界を旅することができるといいなと思う。そういう楽しさは心の奥から自然にわき上がってくるものだから、忘れられないよね。それもENDLICHERI☆ENDLICHERIがかけた魔法だったのかな。